日本の鉄道の夜明け、その出発点の初代新橋停車場
皆さま、こんにちは!「JAPAN思い出BOX」へようこそ。
今回は、日本の近代化が始まった、まさにその瞬間の風景を捉えた貴重な古写真をご紹介します。そこに写っているのは、日本で最初に鉄道が開通した明治5年(1872年)に建てられた、初代新橋停車場です。
皆さんは、東京駅の壮麗な姿を思い浮かべるかもしれませんが、そのはるか以前、日本の鉄道の歴史は、このシンプルながらも威厳ある建物から始まったのです。皆さんもよくご存じの東京駅の写真と見比べてみてください。たった50年足らずの間に、日本の建築と都市がいかに大きく変わったか、驚きと感動を覚えることでしょう。
日本を動かした、鉄道という「夢」の始まり
初代新橋停車場は、日本初の鉄道、新橋・横浜間の起点として、明治4年(1871年)に着工し、翌年の開業を迎えました。当時の日本にとって、鉄道は未知の乗り物であり、まさに「文明開化」の象徴でした。天皇陛下が横浜から新橋まで乗車されるなど、国家を挙げての一大プロジェクトだったのです。
この画期的なプロジェクトに際して、建築設計を任されたのは、イギリスから招かれたお雇い外国人、リチャード・P・ブリジンスです。彼は、日本の近代化を助けるために来日した多くの外国人の一人であり、日本の建築技術の基礎を築く上で重要な役割を果たしました。
機能美に徹した、力強いレンガ造り
写真に写る新橋停車場は、辰野金吾が設計した東京駅のような華やかな装飾はありませんが、西洋建築の力強さと機能美に満ちています。堅牢なレンガ造りの外壁、均等に並んだ窓、そして簡潔ながらも堂々とした造りは、当時のイギリスの鉄道駅舎に共通するスタイルです。
建物の中央に位置する玄関口は、旅客がスムーズに出入りできるよう、簡潔で実用的なデザインになっています。派手さはありませんが、その堅実な佇まいは、日本の鉄道の歴史を支える土台としてふさわしいものです。
東京駅との対比が語る、時代の進化
大正3年(1914年)に竣工した東京駅と比較してみると、その違いは一目瞭然です。
新橋停車場: 明治初期の日本の鉄道の「始まり」を象徴する、機能的で実直なデザイン。外国から導入された技術をそのまま受け入れ、まずは形にすることに主眼が置かれていました。
東京駅: 大正時代の日本の鉄道の「完成」を象徴する、装飾豊かで壮麗なデザイン。日本の建築家が西洋の様式を深く理解し、独自の解釈と技術を加えて、一つの芸術作品として昇華させています。
わずか40年ほどの間に、日本は「西洋の技術を学ぶ」段階から、「西洋の技術を使いこなし、独自の表現を生み出す」段階へと、驚くべき速さで進化を遂げたのです。新橋停車場と東京駅は、そのダイナミックな歴史を物語る、まさに二つの象徴と言えるでしょう。
今はなき、記憶の駅舎
写真の駅前広場には、まだ未舗装の地面が広がり、人や荷物を運ぶ人力車の姿も見えます。また、「キリンビール」の看板も見えます。近代的な「鉄道」と、伝統的な「人力車」が同じ空間に存在しているこの風景は、まさに明治という時代の特徴そのものです。
この初代新橋停車場は、その後、旅客ターミナルとしての役割を終え、残念ながら解体されてしまいました。しかし、その跡地には現在、旧新橋停車場として、当時の建物を忠実に再現した施設が建てられ、日本の鉄道発祥の地として、その歴史を今に伝えています。
この一枚の古写真から、私たちは、日本の近代化という大きな潮流が、この新橋という小さな出発点から始まったことを改めて感じることができます。「JAPAN思い出BOX」は、これからも、このような歴史の断片を捉えた写真を通じて、皆さんの心の中に眠る「古き良き日本」の思い出を呼び覚ますお手伝いをしていきます。
次回も、また別の「思い出の風景」でお会いしましょう!
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/
1936(S11)明治大正建築写真聚覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/1223059
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