日本銀行本店

日本銀行本店 思い出BOX
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日本銀行本店本館の威厳

皆さま、こんにちは!「JAPAN思い出BOX」へようこそ。

今回ご紹介する一枚の古写真は、東京の日本橋に、今も堂々とそびえ立つ、まさに日本の経済を支え続けてきた心臓部、「日本銀行本店本館」の竣工間もない頃の姿を捉えています。明治29年(1896年)に完成したこの建物は、日本の近代化が急速に進む中で、国家の金融基盤を確立するという大きな使命を背負って生まれました。

写真に写る重厚な石造りの建物は、当時の日本が、経済的にも世界に肩を並べようとする強い意志を形にしたかのようです。

辰野金吾の傑作、強固なデザイン

この日本銀行本店本館の設計を手がけたのは、皆さんもよくご存じの辰野金吾です。そう、以前ご紹介した東京駅丸の内駅舎の設計者でもあります。彼は、西洋建築を日本に導入し、多くの日本人建築家を育てた、まさに「日本近代建築の父」と称される人物です。

日銀本店は、彼の代表作の一つであり、その設計には、当時の最高の技術と辰野の強い信念が込められています。写真からも分かるように、建物はルネサンス様式やバロック様式の要素を取り入れた、重厚で威厳のあるデザインが特徴です。

外壁には、石が積み上げられたような頑丈な印象があり、ドリス式の柱がずらりと並び、建物の中心部には三角形の破風(ペディメント)が見えます。これは、古代ギリシャ・ローマの神殿のような、揺るぎない安定感と信頼性を象徴しています。中央銀行としての「堅固さ」「信頼性」というイメージを、建築デザインで見事に表現していると言えるでしょう。

辰野金吾は、この建物を漢字の**円の字**に配置したと言われているとかいないとか。。。。当時の円の漢字は、**圓**でした。外からは見えにくい部分ですが、建物の配置にまで意味を持たせた、彼らしいこだわりが光るエピソードです。

明治の街並みと人々の息遣い

写真に目を向けると、建物の手前にはまだ舗装が十分ではない道が広がり、路面電車のような線路も敷かれているのが見えます。これは、馬車や人力車、そして近代的な路面電車が混在していた、明治後期から大正初期にかけての、まさに文明開化途上の東京の街の様子を伝えています。

道行く人々は、着物姿であったり、洋装であったりと様々で、人力車を引く人や、荷車を押す人々の姿も確認できます。この大きな銀行の前を、日常の生活を営む人々が行き交い、その様子からは、当時の東京の活気や、社会の変化のスピードが感じられます。頭上には、電線が複雑に張り巡らされ、都市のインフラ整備が進む様子も見て取れます。

災害を乗り越えた、揺るぎない存在

この日本銀行本店本館は、その堅牢な造りから、「石の砦」とも呼ばれ、歴史の中で数々の危機を乗り越えてきました。特に、大正12年(1923年)の関東大震災では、周囲の多くの建物が壊滅的な被害を受ける中で、奇跡的に大きな損傷を免れました。また、第二次世界大戦の空襲も耐え抜き、今日まで日本の金融の中心としてその機能を果たし続けています。

この建物は、単なる歴史的建造物ではありません。それは、日本の近代国家としての歩みを見守り、経済的な困難を乗り越えるたびに、その揺るぎない存在感を示してきた「生きた証」なのです。

この一枚の古写真から、私たちは、明治時代の日本の力強い息吹と、未来へと向かう人々の確かな足音を感じ取ることができます。「JAPAN思い出BOX」では、これからも、日本の各地に残る歴史的な建造物や風景をご紹介しながら、そこに息づく人々の記憶や物語を伝えていきたいと考えています。

次回も、また別の「思い出の風景」でお会いしましょう!

参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション  https://dl.ndl.go.jp/

     1936(S11)明治大正建築写真聚覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/1223059

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