タイムスリップ:明治・大正の商業施設を巡る建築紀行(その1)
皆さま、こんにちは!「JAPAN思い出BOX」へようこそ。
今回は、明治・大正時代の人々の暮らしを彩り、日本の経済発展を支えた、商業施設の古写真をまとめた動画をご紹介します。今も続く老舗の創業当時の姿や、今はもうない幻の建物の姿は、当時の日本のエネルギーを雄弁に物語ってくれます。
文明開化の象徴:銀座煉瓦街
動画の冒頭に登場するのは、日本の近代化を象徴する銀座煉瓦街です 。京橋から新橋まで続く、西洋風の煉瓦造りの街並みは、当時の日本にとって、まさに夢のような光景でした。ガス灯がともる夜の風景は、多くの人々を魅了し、銀座は「文明開化の華」と呼ばれるようになりました。この煉瓦街には、様々な商業施設が軒を連ね、人々はここで新しい商品や文化に出会いました。
産業と経済の夜明けを支えた建物たち
動画は、後藤象二郎の幅広い人脈によって設立された会社といわれている蓬莱社 や、東京日日新聞などを発行していた日報社 、そして明治期に租税が米穀物納から金納に変わり、米穀の商品化が進むと、日本で最初の取引所である東京米商會所 など、近代日本の産業と経済の発展を支えた建物へと続きます。
これらの建物は、ただの商業施設ではありません。それは、日本の近代化という大きな目標に向かって、多くの人々が新しい事業に挑戦し、汗を流した、努力の結晶です。
華やかなる大正モダンと、関東大震災からの復興
動画の中盤では、大正時代の華やかな商業施設が登場します。浅草にあった凌雲閣 は、日本で初めて電動式エレベーターが設置された建物として知られ、当時の人々に大きな驚きと感動を与えました。また、三越呉服店 や日本郵船ビルヂング といった、重厚でモダンな建物からは、大正時代の日本の経済的な成熟が感じられます。
しかし、これらの建物の多くは、大正12年(1923年)の関東大震災で被害を受けました。動画には、被災した店舗の代替として建てられた三越呉服店仮営業所 や、三越呉服店東館 の写真も紹介されており、当時の人々が、いかにして震災からの復興に立ち向かっていったかを物語っています。
この動画は、日本の商業が、どのように発展し、そして災害を乗り越えてきたかを、建築という視点から見つめ直す、貴重な機会を与えてくれます。
「JAPAN思い出BOX」では、これからも、このような古写真や映像を通じて、皆さんと一緒に、古き良き日本の物語を紡いでいきたいと考えています。

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