海の侍を育てた学び舎:幻の海軍兵学校生徒館
皆さま、こんにちは!「JAPAN思い出BOX」へようこそ。
今回ご紹介する一枚の古写真は、日本の近代史において非常に重要な役割を果たした場所、海軍兵学校の生徒館です。竣工は明治16年(1883年)6月。東京・築地に堂々と建っていたこの建物は、未来の日本の海を守る若き士官たちが、夢と希望を胸に勉学に励んだ学び舎でした。
その重厚で美しい赤レンガ造りの姿は、当時の日本が、世界に通用する強力な海軍を築こうとしていた、強い意志と情熱を今に伝えてくれています。
重厚なデザインが示す、国家の威信
この生徒館の設計を手がけたのは、お雇い外国人建築家のトーマス・J・ダイアックです。彼は、ジョサイア・コンドルと同様、日本の近代化を建築面から支えた人物の一人でした。
写真から分かるように、建物は左右対称の安定したデザインと、重厚な赤レンガ造りが特徴です。1階部分は、アーチ型の開口部が連続するアーケード(柱廊)になっており、まるでヨーロッパの格式高い大学や官庁を思わせます。このアーケードは、厳しい訓練の合間に、生徒たちが休息をとったり、仲間と語り合ったりする場所だったのかもしれません。
2階部分は、規則正しく並んだ窓が、建物の威厳をいっそう高めています。軍の施設にふさわしい、無駄をそぎ落とした機能美と、西洋建築ならではの様式美が見事に調和しています。
若き血潮が通った学び舎と、一枚の写真に写る青年
この建物は、若き海軍将校を育てるための特別な場所でした。写真の手前、建物に向かって歩いている白い制服を着た一人の青年にも注目してください。彼は、この海軍兵学校の生徒でしょうか、それとも将校でしょうか。カメラを意識してか、少しだけポーズをとっているようにも見えます。
彼はこの日、どんな気持ちでこの学び舎へと向かっていたのでしょうか。厳格な規律の中での生活、遠く離れた故郷への想い、そして日本の未来を背負うという強い使命感。彼の凛とした立ち姿からは、当時の若者が抱いていたであろう、希望と不安、そして責任感が伝わってくるようです。
この建物は、ただの学び舎ではありません。それは、若者たちの夢と汗と涙が染み込んだ、青春の舞台でした。明治という新しい時代を生き、日本の未来を自らの手で切り開こうとした、若き血潮の物語が、この赤レンガの壁には刻まれていたのです。
震災が奪い去った、記憶の断片
しかし、この美しい海軍兵学校生徒館もまた、運命の歯車に巻き込まれてしまいます。竣工から40年後の大正12年(1923年)9月、関東大震災が発生し、東京の街は壊滅的な被害を受けました。残念ながら、この生徒館もその時に焼失してしまい、今ではその姿を写真でしか見ることができません。
この一枚の古写真は、日本の近代化の象徴であった建物が、いかに儚いものであったかを私たちに教えてくれます。そして、災害によって失われた歴史の断片を、私たちがこうして見つめ、語り継ぐことの重要性を改めて感じさせてくれます。
海軍兵学校生徒館は、多くの若者の夢を育み、日本の発展を見守った後、短い生涯を終えました。しかし、その記憶は、この写真の中に、そして卒業生たちの心の中に、永遠に生き続けているのです。
海軍兵学校は、広島県江田島市に移転
もしも、江田島に行く際は、ぜひ見学してください。アプローチ部分は古写真とは、少々異なりますが、レンガ造りの雰囲気と1階2階部分の規則正しく並んだ窓が、建物の威厳を感じられます。
「JAPAN思い出BOX」では、これからも、このような失われた建物の記憶を辿りながら、皆さんと一緒に、古き良き日本の物語を紡いでいきたいと考えています。
次回も、また別の「思い出の風景」でお会いしましょう!
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/
1936(S11)明治大正建築写真聚覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/1223059