タイムスリップ:明治・大正の教育施設を巡る建築紀行
皆さま、こんにちは!「JAPAN思い出BOX」へようこそ。
今回は、明治・大正時代に日本の未来を担う若者たちが学んだ、教育施設の古写真をまとめた動画をご紹介します。
この動画は、当時の日本が、いかにして近代的な教育制度を確立し、世界に通用する人材を育てようとしていたかを、建築という視点から雄弁に物語ってくれます。
学びの殿堂:帝大と私学の黎明
動画の冒頭に登場するのは、日本の最高学府である東京大学医学部 です。中央に時計塔を持つ、白く大きな建物は、当時の最先端の医学教育が行われていた場所として、多くの若者の憧れの的でした。
そして、日本の近代化を支えた私学の姿も登場します。慶應義塾大学記念図書館 は、赤い屋根と尖塔が特徴的な美しい建物で、福沢諭吉の教えが脈々と受け継がれてきた学びの場を象徴しています。また、早稲田大学恩賜記念館 は、ゴシック様式のような重厚な建物で、当時の早稲田の学問の自由と独立の精神を物語っています。
これらの大学の建物は、それぞれの建学の精神を形にした、まさに「学びの殿堂」でした。
官僚と技術者を育てた、教育の拠点
動画内では、日本の近代化を実務面から支えた人々を育てた教育機関が紹介されます。学習院 や華族女学校 は、明治政府の要人を育成する特別な学校であり、その建物も格式高い洋館でした。
また、工部大学校講堂 や理科大学 といった建物は、日本の産業発展を担う技術者を育てるための重要な拠点でした。これらの建物からは、当時の日本が、工業化をいかに重要視していたかがうかがえます。
記憶に残る、学びの風景
この動画には、帝国図書館 や、東京帝国大学正門 、東京帝国大学講堂など、当時の学生たちの日常を彩ったであろう風景も収められています。木々の中に立つ洋風の図書館や、なぜか馬に乗った人々が行き交う大学正門の風景が記録されています。何か催し物があったのでしょうか。
多くの建物が、関東大震災や第二次世界大戦を経て、その姿を変えてしまいましたが、動画の中に残されたその姿は、当時の日本の技術力やデザインセンス、そして何よりも、未来を担う若者を育てようとした人々の情熱を、今に伝えてくれています。
「JAPAN思い出BOX」では、これからも、このような古写真や映像を通じて、皆さんと一緒に、古き良き日本の物語を紡いでいきたいと考えています。

